遠回りも正解になる──10年弱の受験勉強から撤退、そしてIPO準備の最前線へ

公開日:2025.12.12

最終更新日:2025.12.13

ストレート合格が難しい公認会計士試験。勉強を続けるべきか、就職に舵を切るべきか……答えのない問いに直面している方々へ。今回インタビューにご対応いただいた井上さんは、短答式試験を複数回、論文式試験を複数回、計10年弱の受験生活の末に「撤退」を決断し、経理職で上場企業に就職。そして現在は国内外から注目されるベンチャー企業でIPO準備に奮闘しており、希少価値の高い経験を着々と積み上げています。合格という一点の光をつかめなくても、積み重ねた日々は確かに武器になる。遠回りしたからこそ辿り着ける正解もある。この記事は、井上さんの言葉で綴る、迷いの中にいるあなたへのエールです。

1.10年弱の受験生活と就職への舵切り

ーーCPA会計学院に在籍する多くの受講生と同じように、井上さんも大学時代に簿記に出会ったことが、後に公認会計士を目指すきっかけになったそうですね。

井上 はい。大学に大手資格スクールと提携した簿記の講座があり、経営学部だった私は「まあ、やっておくべきかもな」という軽い気持ちで受講を決めました。ただ、その講座が夕方で、自分の中で優先順位が高かった部活の練習時間と重なってしまい、だんだん勉強から離れてしまって。結局、簿記3級も受からず、そのまま就職して社会に出ました。

ーー最初の勤務先ではどんな仕事をしていたのでしょうか?

井上 1社目の業務は営業サポートでした。電話対応、営業からの問い合わせ対応、契約書の不備チェックなど、まさしく“雑務”が中心の日々です。当時、会社が独自の会計ソリューションを作っていまして。複数のECサイトの在庫管理や会計処理を自動で紐付けるシステムで、それが大ヒットして後に上場するのですが、当時の私は上司と馬が合わなくて、仕事の面白さも感じられず、入社1年半ほどで自分のキャリアに行き詰りを感じ始めました。そのタイミングで学生時代に触れた簿記の記憶が蘇り、進むべき道が見えた気がしました。

ーー公認会計士を目指すことに活路を見出し、人生の舵を切ったわけですね。

井上 正直に言うと、私は恵まれていました。親が「やりたいことはやってみなさい」と金銭面を支援してくれたので、会社を辞めて実家で勉強に専念するスタイルを選ぶことができたんです。そこからトータルで10年弱、受験生を続けることになります。最初の3年は、想像以上に短答式試験の壁が大きかった。早い人は1年目で乗り越えますが、私は3年目でも届かなくて。でも2年目と3年目の挑戦では、あと1~2問正解すれば合格ラインに到達するところまで行けて、親の理解と後押しもあり、もう1年、もう1年……と、諦めずに挑戦を続けました。そして5年目になり、さすがに焦りの感情が募ってきました。当時は30歳目前。これ以上、社会人としての空白期間を延ばすわけにはいかない。そこで5年目をラストチャンスにすると決めて短答式試験に挑んだところ、謙遜ではなく「ギリギリ」で受かったんです。

ーー安堵する間もなく、次は論文式試験の壁が立ちはだかる……。

井上 はい。そこから論文に3回挑戦したのですが、受からず。好ましい表現ではないですが、受験生の間で“三振”と呼ばれる状況です。それはもう、さすがに落ち込みましたね。勉強を継続したことを後悔して、心のどこかで「短答の5年目で落ちていたら、もっと早く諦めて就職していたのに」と思ってしまう自分もいました。その後、短答からやり直すことも検討しましたが、自分に対する期待よりも「また5年かかるかもしれない」という恐怖が勝った。そこで受験からの撤退を決断して、すでに取得済みだった「簿記1級」と「会計士受験で積み重ねた知識」という2つの武器で就職活動に踏み出すことにしました。

ーーその決断を下すまでに時間がかかりましたか?

井上 11月中旬に3回目の論文の結果が出て、1週間くらいはグダグダしてしまいました。短答に余裕で受かっていたら前向きに再挑戦を検討できたかもしれませんが、当時の私には不確実な勝負に賭ける心の体力が残っていなくて。「今ここで社会に戻る」という選択が最善だと思い、腹を括りました。そして経理や財務など管理部門に特化した転職エージェントに登録して、すぐ面接に進んで、幸運にも12月下旬に内定をもらって……と、約1ヶ月という短い時間で人生の方向を切り替えることができました。

2.上場企業経理の現場で身につけた「攻めの情報収集」

ーー2度目の就職活動で重視したポイントを教えてください。

井上 10年弱の空白があったので、最初は右も左も分からない状況でしたが、担当エージェントさんの助言を頼りに戦略を練りました。そして、導き出した方針は「上場会社に行く」。IPO準備会社や会計事務所、コンサルではなく、連結や開示といった高度な経理実務を経験できる環境に身を置くべきだと思いました。そのステップを踏めばキャリアに箔がつくし、次の選択肢も広がる。今振り返ると、エージェントさんの助言は本当に正しかった。ただ、実際は求人の数が少なくて、書類選考で落ちることも多かったです。やはり離職期間の長さは転職市場で厳しく評価されがち。だからこそ、前職からのオファーには本当に助けられましたね。ちょうど子会社を増やすタイミングで、「経理人材が必要だけど、コストは抑えたい。未経験でも知識がある人なら」というニーズが私の経歴とハマったようです。

ーー内定が出てから、入社までの間にどんな準備をしましたか?

井上 コツコツとExcelの勉強をしていました。経理で使うExcelの勘所だけを徹底的に押さえる。結果的に、これがすごく役立ちました。関数で言えば、SUM、SUMIF、COUNTIF、VLOOKUP(あるいはXLOOKUP)、ピボットテーブル。この辺りを理解しておくと、現場で渡されるデータの構造を素早く理解できるようになります。監査法人や大企業に入るならイチから教えてくれると思いますが、それ以外の事業会社に入る場合は「これやっといて」のひと言だけで仕事が降ってくることを想定しておいたほうがいいです。

ーーExcelを自分で触って、自分で壊して、自分で直す。受験で積み上げた知識を、実務の「使える力」へ変えるための準備が大事なんですね。

井上 そうですね。Excelはひとつの手段に過ぎませんが、経験上、知っていることは必ず「使える力」に変えられます。例えば「火の起こし方」を理屈では知っていても、実際に手を動かして火をつけた経験がなければ、最初の一歩で戸惑いますよね。でも一度やれば、教科書で読んだ理屈が実体験として身について、工夫すべくポイントもわかってくる。会計やExcelの関数もまったく同じで、積極的に「やってみる」ことが突破口になります。

ーー上場企業の経理部時代に、成長するきっかけになった出来事はありますか?

井上 私は子会社の新設に伴う経理業務の立ち上げを任されました。前任者がいないため、各所から届く情報をもとにイチから仕分けを起こす必要があります。それを親会社のルールに合わせながら最適化していく作業が大変でしたね。しかも当時はリモートワークが前提の環境で、密なコミュニケーションが難しい。知りたいことを直接聞きに行けないから、作業が滞ってしまう……そこで意識を変えました。「攻めの経理になる」と。請求書の詳細を教えてもらえるまで仕分け作業を待つのではなく、自分から担当者に聞きに行く。そんな方針に切り替えてから作業の効率が上がり、コミュニケーション量が増えたことで周囲に信頼してもらえるようになり、より大きな仕事を任せてもらえるようになりました。

ーーその後、2018年設立のスタートアップだった現職へ移った背景とはも知りたいです。何が井上さんの背中を押したのでしょうか?

井上 前職で2年ほど働いたものの、なかなか年収が上がらず……。転職を視野に入れ、まずは情報収集する感覚でCPAさんが主催する「ファイナンス交流会」に参加したんです。そこでCPASSキャリアサポート代表の中園さんに背中を押してもらいました。僕の経歴と今の仕事の濃度を丁寧に聞いたうえで、「井上さんの経験があれば年収は今より1.5倍~2倍を目指せます」と。そのひと言がスタートアップに飛び込む勇気を与えてくれました。

3.スタートアップで求められる覚悟

ーー現在、IPO準備の現場ではどんな刺激を得ていますか?

井上 上場企業とは違い、まだまだ整っていない部分が多いのが実情です。在庫管理のスキームも会計処理も、イチから仕組みを整える必要がある。時間も手間もかかるのですが、IPOに向かうためには妥協できません。幸い、経理チームに会計士が3人いるため、監査法人に説明できるクオリティの仕事をすることができています。むしろ会計士がいるのに問題が起きたら大問題であり、その分、重いプレッシャーがのしかかる。「登録を外そうかな」と、冗談半分で話している会計士も人もいます。国家資格を背負うとは、そういうこと。「その覚悟を自分も持てるのか?」と、彼らを見ていて自問する瞬間が何度もあります。

清水 その問いは受験生へのメッセージとしても大切です。合格はゴールではなく、責任を呼び込む日々のスタートなんですね。

井上 そう。そしてスタートアップの現場でも、やはり自分で情報を取りに行く姿勢が大事です。そこは受験とは違います。受験はカリキュラムとテキストがあり、答練があり、先生がいて、進むべき道が整備されている。しかしスタートアップでは、誰も地図を配ってくれません。会計制度の解釈も、事業の実態も、すべてが流動的に動いているので、待っていると全部が遅れる。自分から契約書に踏み込み、社内の事業部に詳細を聞きに行き、監査法人に確認を取る。そうした「情報の統制」をやる姿勢がないと、IPO準備は前進しません。

清水 論文のプロセスと似ている気もします。問題の論点を自分で捉え、根拠を揃え、結論までの道筋を自分の手で作る。

井上 論文で鍛えた筋肉は、仕事でそのまま使えます。でも受験と違うのは、情報が机の上に落ちてこないこと。だから「取りに行く」。わからなければ動く。自分の足で取りに行く人が、スタートアップでは活躍するのではないでしょうか。そのためには、全力で仕事にコミットする必要があるのも事実。でも、私、実は会計士の勉強を再開しようか迷った時期があって、CPS会計学院に受講相談に行ったんですよ。そこで「ご承知の通り、受験勉強は負担が大きいです。仕事にやりがいを感じているのであれば、今はそこに全力を注いだほうが将来の選択肢が広がるのでは?」という助言をいただいて、すごく腑に落ちました。IPO準備は100%で走らないと間に合いません。だから勉強再開は棚上げにして、今の仕事で貴重な成功体験を得てから、その後の戦略をじっくりと再検討することにしました。

4.「撤退は敗北じゃない」。遠回りも正解になるという確信

ーーきっと挫折を知る人にしか宿らない力があるはずです。会計士受験を頑張った経験がある人、そして勇気を出して撤退した人にはどんな強みがあると思いますか? 

井上 ふたつあります。ひとつ目は、学んできた知識は実務で強い武器になるという事実。会計とExcelの関数をある程度使えるだけで、任せてもらえる仕事は一気に増えます。受験生のコミュニティにいると、周りも詳しいから自分の知識の価値に気づきにくい。「自分なんてダメだ」と思っている人もいるでしょう。でも事業会社に入ると、その知識が議論を前に進める鍵になり、意思決定を早くする。そこは自信を持ってほしいですね。ふたつ目は、受験を撤退した人って、謙虚な人が多い気がします。自分より上がいるとわかっているから、奢らずに学び続けようとする。私自身、新リース会計基準の変更など最新のトピックは追いかけるようにしていて、会計士から「よく知ってるね」と評価されることもあります。

清水 井上さんの話を聞いていると、受験で苦戦した日々も、就職での軌道修正も、全部が一本の線になっているのを感じます。

井上 大リーグで殿堂入りしたイチロー選手が、かつて「失敗は深みを出すために必要」といった意味合いの発言をしたことがあるんですよ。遠回りの経験こそが選手としての成長に不可欠であるという意味で、つまり「無駄な過去はない」ということ。振り返ると、私は論文で三振したとき、正直、時間を無駄にしたように感じました。でも、イチロー選手の言葉に出会ってから、少し視界が変わって。8年の受験生活は、無駄どころか、きっと自分の深みになっている。私の場合、遠回りしたことで、今はIPO準備という全力で取り組む価値のある仕事に就くことができました。だから、今、もがいている人にも伝えたいです。遠回りしたことが、いつか正解と思える日がきます。

清水 貴重な経験を語っていただき、ありがとうございました。ちなみに今日のインタビューが始まる前、井上さんはジムで筋トレに励んでいたようですね。やはりコツコツと努力を積み上げる時間が好きなのでしょうか?

井上 いや、筋トレはできる限り近道をしたいと思っていて(笑)。科学とテクノロジーを活用したプログラムを提供しているジムに通って、効率良く鍛えるようにしています(笑)。

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