資格がなくても夢は叶う。4度の試験挑戦を経て外資系へ。

公開日:2025.12.11

最終更新日:2025.12.12

中村 薫 さんプロフィール 

慶應義塾大学法学部政治学科卒。高校時代の3年間とギャップイヤーの計4年間をニューヨークで過ごす。帰国後、大学1年生から公認会計士試験の学習を開始。4回の受験を経て、大学4年の6月に就職活動へシフトチェンジを決断。CPASSキャリアを活用し、自身の強みである「英語力×会計の知識」を活かせる大手外資系事業会社より内定を獲得。

1.確実に夢に近づくために選んだ会計士への道

ーー法学部政治学科のご出身ということで、一見すると会計とは少し距離がある分野のように感じます。そこから公認会計士を目指された理由を教えてください。

中村 原点は、高校時代を過ごしたニューヨークでの経験です。現地で活躍する駐在員や会計士の方々の生き生きとした姿に憧れ、「将来は必ずここに戻って働く」という目標を持ちました。ただ、どうすればニューヨークに行けるかを冷静に考えたとき、銀行や商社に入って駐在員として派遣されるのを待つというルートは、運の要素も強く、確実性に欠けると感じました。もっと能動的に、自分の力で道を切り拓く方法はないか。そうしてたどり着いた答えが「公認会計士」でした。資格という武器があれば、会社の辞令を待つことなく、自らの手で海外への道が開ける。その一心で、大学1年の春から勉強をスタートさせました。

ーーもともと英語力という武器があったと思うのですが、USCPA(米国公認会計士)という選択肢も検討しましたか?

中村 はい。しかし当時は日本でUSCPAの学習環境が今ほど整っていなかったこともあり、まずは日本の資格で足場を固めようと考えました。予備校は、大学(慶應義塾大学)内でのシェアが圧倒的に高く、友人も多く通っていたCPA会計学院を選びました。

2.4回の挑戦と決断。「資格はあくまで手段」という気づき

ーー大学1年生から計4回の挑戦。そして、着実に実力を積み上げていた中で試験からの撤退を決断されましたが、相当な葛藤があったのではないでしょうか?

中村 そうですね。回を追うごとに点数は伸びていたのですが、大学4年の5月、ラストチャンスと決めていた試験の結果は68%でした。合格ラインまであと一歩。正直、悔しさはありました。 しかし、不合格は不合格です。ここで感情に流されてズルズルと続けるよりは、きっぱりと区切りをつけ、就職活動へと舵を切るべきだと冷静に判断しました。試験直後にCPA会計学院主催の合同就職説明会があるのを知っていたので、「まずはそこに参加して、次の戦い方の情報を得よう」と、即座に行動に移しました。

ーーその行動の早さは素晴らしいですね。迷いがある中で、しっかりと区切りをつけられた理由はどこにあったのでしょうか?

中村 合同就職説明会に参加した後、自分が「資格」というものに固執しすぎていたことに気づいたんです。 冷静に振り返ってみると、私の本来の目的は「ニューヨークに行きたい」、「グローバルに働きたい」ということであって、会計士になること自体はあくまでそのための「手段」でしかなかったはずです。資格がなくてもその目的が達成できるなら、そこにこだわる必要はないじゃないか……と。そう思えたことで、新卒として社会に出る道へと、前向きに舵を切ることができました。

ーー目的と手段を再定義できたわけですね。

中村 はい。ただ、頭では理解していても、一人でそこまで整理し切るのは難しく、相当な葛藤がありました。周りの友人はすでに就活を終えていますし、親に相談しても最新の事情とはどうしてもギャップがある。 そんな孤独な状況で、CPASSキャリアの渡邉一毅さん(キャリアアドバイザー)との対話が、私にとっての大きな転機になりました。

ーー具体的にはどのようなやり取りがあったのですか?

中村 渡邉さんが、「そもそも、最初になぜ会計士を目指そうと思ったの?」と、原点に立ち返る問いを投げかけてくれたんです。 日々の勉強に追われる中で、いつしか「合格すること」自体が目的化してしまっていたんですね。でも、その問いをきっかけに深掘りしていく中で、「自分の本当の目的は資格そのものではなく、『グローバルに働くこと』だったんだ」と、霧が晴れるように再認識できました。 あの対話がなければ、ここまでポジティブに気持ちを切り替え、次のステップへ踏み出すことはできなかったと思います。

3.「会計×英語」を武器に。戦略的な就職活動

ーー就職活動は、どのような軸で進められたのですか?

中村 軸は明確で、「会計知識を活かせること」と「英語を使えること」。この「会計×英語」を満たす業界・企業を探しました。 CPASSキャリア経由では厳選した3社に応募しましたが、個人では「後がない」という危機感から、かなり多くの企業に幅広くエントリーしました。ただ、自分の希望が100%叶う企業はそう多くありません。だからこそ、CPASSキャリア経由で応募した本命の企業については、特に慎重に対策の時間をかけました。

ーーその中で、内定先の外資系企業に惹かれた理由は?

中村 やはり「会計×英語」という軸に合致していたからです。 募集は経理財務部門だったのですが、ここでは国内基準(JGAAP)だけでなく、海外本社への報告のために国際会計基準(IFRS)も扱います。本社とのやり取りで日常的に英語を使いますし、外資系ならではの実力主義な社風も、年功序列よりスキルで評価されたい自分に合っていると確信しました。

ーーまさに理想的な環境ですね。選考対策はどのように進めましたか?

中村 CPASSキャリアの伊藤渓悟さん(キャリアアドバイザー/公認会計士)に、全ての面接の前にZoomで対策をしていただきました。これが本当に大きかったです。 特に効果的だったのが、単なるアドバイスにとどまらず、ネクストアクションを具体的に示してくれたこと。「次の面接までに、ここまでやっておきましょう」と、かなりハイレベルな課題を提案されました。

ーー具体的にはどのような課題だったのですか?

中村 例えば、「応募先企業の財務諸表(有価証券報告書)を読み込んで、気になる点を全て理解しておくこと」などです。 この業界の財務諸表は一般事業会社と違って特殊な構造をしているので、勘定科目の意味や、「なぜ有価証券の比率が高いのか」「なぜこの数字が動いているのか」といった点を徹底的に調べ上げました。 時間はかかりましたが、その結果、最終面接で「ちゃんと有価証券報告書を読み込んでくれているね、会社のことを深く理解しているね」と高く評価していただけました。

ーープロの助言を素直に実行し、徹底的に準備された成果ですね。

中村 はい。面接では、会計士試験の勉強経験についても、単に「勉強しました」と伝えるのではなく、「どういう課題に対してどうアプローチし、その結果どうなったか」というロジックを組み立てて話しました。 その結果、最初の面接から「取り繕わずに本音で話してもすごくマッチする」という感覚があり、心の底から自分に合っている会社だと確信できました。

4.新たな目的を見据えて挑戦を続ける

ーー9月末の内定から10月の内定式へと、まさに激動の数ヶ月でしたね。配属後の具体的な業務イメージは、すでにお持ちですか?

中村 経理財務部門への配属は決まっていますが、具体的な担当が国際会計基準チームになるか、日本基準チームになるかは未定です。 いずれにせよ高い専門性が求められる環境ですので、入社までの期間は「CPAラーニング」の経理実務動画で予習したり、英語のブラッシュアップに励んだりと、スタートダッシュに向けた準備を進めています。

ーー当初の夢であった「ニューヨーク」への想いは、今も変わっていませんか?

中村 実は内定先にはニューヨーク支社はないのですが(笑)、ヨーロッパにある本社に行くチャンスはあります。 就職活動を通じて気づいたのは、場所に固執しなくても、「英語×会計」という武器があれば世界と繋がる方法はいくらでもあるということです。今は特定の都市への憧れよりも、自分のスキルで世界と渡り合うことへのワクワク感の方が強いですね。

ーー入社後も、さらなるスキルアップを目指されるそうですね。

中村 はい。日本の公認会計士試験には区切りを付けましたが、プロフェッショナルな人材になるべく、これからも英語と会計の勉強を続けていくつもりです。グローバルな環境で働く上で、世界共通言語である英語と会計の二つを極めることは、非常に強力な武器になると確信しています。まずはCPAラーニングなどを活用し、入社1年目でしっかりと業務の土台を作っていく予定です。将来的には、義務化が進むサステナビリティ関連の開示業務などにも携われるよう、精進していきたいと考えています。

ーー最後に、かつての中村さんのように、試験の結果や進路の選択に悩んでいる方々へメッセージをお願いします。

中村 一番伝えたいのは、「資格に固執しなくても、素晴らしいキャリアは歩める」ということです。 もちろん、今目の前にある目標には全力で、悔いのないように取り組んでほしい。ですが、もし結果が出ずに方向転換することになったとしても、それは決して「諦め」ではなく、自分の強みを活かすための「新しい選択」です。 自分の人生ですから、視野を広く持って、その時々でベストな道を選べばいいと思います。過度に不安にならず、自信を持って次のステージへ進んでほしいです。

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